大阪高等裁判所 昭和52年(く)4号 決定 1977年2月24日
少年 D・J(昭三五・一・一六生)
主文
原決定を取り消す。
本件を神戸家庭裁判所尼崎支部に差し戻す。
理由
本件抗告の趣意は、附添人弁護士○添○雄作成の抗告申立書記載のとおりであるが、要するに、(一)少年は、原判示強盗致傷の事実について、被害者○田○太○から金員を強取する犯意も共謀関係もなく、また、被害者に暴行脅迫を加えて金員を強取したりした事実もないから、少年に強盗致傷の罪の成立を認めた原決定には、決定に影響を及ぼす重大な事実の誤認があり、(二)少年は、本件において傷害ないし傷害幇助の罪を犯したに過ぎず、しかも右は偶発的な犯行であるうえ少年には無免許運転の非行歴一回があるだけであるから、原決定が少年に対し保護観察に付する旨の処遇を定めたのは著しく不当である。というのである。
そこで、所論にかんがみ本件少年保護事件記録並びに少年調査記録を調査して次のとおり判断する。
原決定は、少年の非行事実として「少年は、A、B、Cの三名と共謀し、昭和五一年一一月七日午後一〇時三〇分ごろ、西宮市○○○×丁目×番×号先路上において、通行中の西宮市○○○×丁目×番×号高校教諭○田○太○四五歳から「道をあけろ」と言われたことに立腹し、同人の顔面を殴打し、腹部を蹴る等の暴行を加えその反抗を抑圧し、同人所有の現金五万九、〇〇〇円を強取し、その際右暴行により同人に対し全治一週間を要する腹部、左前腕、左手背打撲擦過傷、頭部外傷等の傷害を負わせた」と判示して少年に強盗致傷罪の成立することを認めているけれども、右保護事件記録によると、少年は原判示のA、B、Cの三名と単車二台に分乗して遊んでいるうちに、右Aが同人の在学する高校の教諭と出会い、同教諭と単車を路上にとめて話をしていた際、通りがかつた被害者○田○太○から「道をあけろ」と言われて口論となり、右教諭の仲裁によつて一応おさまり被害者がその場から立ち去つたが、その後Aから同人が口論中に被害者から「殴れるものなら殴つてみい」と言われたことを聞き、A、B、Cと右被害者を殴打することを企てて共謀し、先廻りして路上で被害者を取り囲み、さらに逃げ去ろうとした被害者をA、Bの両名が原判示の西宮市○○○×丁目×番×号先路上まで追いかけて捕え、少年、Cの両名も相次いで同所に至り、同所において再び被害者を取り囲み、少年、Cの両名が少し離れたところから「やれ、やれ」と叫んで気勢をあげ、A、Bの両名が殴打、足蹴りにする等して暴行を加え、被害者に原判示のような傷害を負わせたのであるが、この時引き続き暴行を加えられることをおそれた被害者がAに対し「これで四人で飲んでくれ」と言つて現金二万円在中の祝儀袋を手渡したため、これを受け取つたAが被害者から所持金を奪取しようと企て、「おつさん、金でかたをつけるつもりならもつと出せ、まだ金を持つているやろ、調べて持つていたらどうする。」と申し向けて脅迫し、畏怖した被害者からさらに現金三万九、〇〇〇円を奪取したところ、その直後警察官が来たため少年ら四人がその場から逃走したことが認められ、この点は証拠上明らかである。右の事実によれば、Aは、自ら被害者を殴打、足蹴りにして暴行を加えているうちに被害者が現金の入つた祝儀袋を差し出したためこの時はじめて被害者から金員を奪取する意思を抱いたものと認められるところ、少年は捜査段階以来原審審判廷においてもAとの間に被害者に暴行を加えることを共謀したことはないと供述し、金員奪取の共謀関係を否定しているのでこの点について検討するのに、右の如く金員奪取の意思を抱いたAが前記のとおり被害者を脅迫して被害者からさらに現金三万九、〇〇〇円を奪取した際にも少年は引き続き少し離れたところに立つたまま格別他の行動に出ることなくこれを目撃していたに過ぎないことのほか、右記録中の各証拠を検討しても、少年自身、Aが金員奪取の意思を抱く契機となつた被害者から現金二万円在中の祝儀袋を受け取つた事実までは目撃していなかつたこと、終始被害者と対峙していたAが金員奪取の意思を抱くや短時間のうちにその目的を遂げていることその他少年のその後の行動等証拠上明らかな事実に徴すると、少年に、Aの金員奪取行為についてまで同人と共謀関係があつたものと認めることは困難と考えざるを得ない。もつとも右記録中のBの司法巡査に対する昭和五一年一一月九日付供述調書において、右Bは本件奪取現場において、少年かCのいずれかが「あり金全部いてまえ」というようなことを二、三回叫んでいたとして右両名のいずれかがAの金員奪取行為に加担していたことを裏付けるような事実のあつたことを供述しているけれども、右供述自体発言者が誰であるか明確でないのみならず、右Bに原審審判廷において、右供述は当時「金を出せ」という声を聞いたので少年か、Cのどちらかが言つたものと推測して述べたものに過ぎない旨供述しているのであつて、少年にAとの前記の共謀関係があつたことを認める資料とはなり得ない。以上のとおり本件において、少年にAの金員奪取行為について同人と共謀関係があつたことを認めるに足りる資料のない以上、少年に強盗致傷の罪の成立を認めた原決定には、決定に影響を及ぼす重大な事実の誤認があるといわざるを得ない。論旨は理由がある。
よつて、その余を判断するまでもなく本件抗告は理由があるから、少年法三三条二項、少年審判規則五〇条により原決定を取り消し、本件を神戸家庭裁判所尼崎支部に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 八木直道 裁判官 山田敬二郎 青野平)
参考 付添人弁護士作成の抗告申立書
抗告の理由
D・Jに対して原裁判所が認定した犯罪事実は「強盗致傷の共同正犯」というものであるが、右認定は以下に詳述のとおり、重大な事実誤認があり、強盗致傷罪(刑法第二四〇条)は到底成立しない。
一 本件強盗致傷の所為はAが「鉄板焼屋」の店舗前路上において、被害者○田○太○に暴行を加え、同人より金員を交付させたものであるが、Aが右行為に及んだ事実経過を検討するに、本件強盗致傷はAの単独犯行であつて、D・Jには強盗の故意がなく、またD・J以外のA・B・Cらとの間に強盗についての意思連絡がなされた事実もない。
二 即ち
本件犯行の発端は、Aが単車を道路中央附近に駐車させ、Aが○○教諭と話しをしている際、被害者が通りかかり、Aと被害者との口論となつた。
右口論は○○教諭の説得で納まり、被害者はその場を立ち去つた。
尚D・J、Cは右口論が始まつた際には現場に居合せず、右口論の途中から現場に赴いたもので、D・Jは口論には加わらず又、口論の原因が何であつたかも解らなかつた。D・Jは右口論が納まつたのち、Aより右口論の原因が「被害者がAに対してそこどかんかい、殴れるものなら殴つてみい等と怒鳴られたこと」にあることを聞かされて、その原因を知つたのである。
三 A・B・C、D・Jらは右口論の終つたあとさしたる目的もなくオートバイに相乗りして走行していたところ遇然に再び被害者と出会うのである。
右被害者を認めるや、前記被害者より「殴れるものなら殴つてみい」と怒鳴られたことに立腹していたAを中心にして、四人が被害者を殴つてやろうという気持になつた。(A・B・C、D・Jの各審判廷における供述)
そして四人が単車から降りて被害者に近ずくや、被害者は鉄板焼屋(四人のいた地点より約五〇メートル南の方向)の方向に向けて逃げ去る。これをAとBとが直ちに追いかけて、右鉄板焼屋の店舗前においてAが被害者に追いつき、Aは被害者に対して暴行に及ぶのである。
四 この時点におけるD・Jの心情を検討するに、AとBとが被害者のあとを追いかけて行つた際、「D・JとCはあほらしくなつてその場から動かずに、D・Jは路上で寝そべつて……追いかけてまでやろうとは思わなかつた」のである。(D・Jの警察官面前調書一四四丁以下、同人の審判廷における供述)
AとBとがD・Jよりも先に被害者を追いかけ、D・JはしばらくじつとしていたことについてはCも同様の供述をしている。(Cの警察官面前調書一二二丁以下)
つまりD・Jが被害者に対して加害行為に及ぼうとの気持があつたとしても、D・Jの素直な心情としては、その動機原因となつたのは、前述の如く被害者から「殴れるものなら殴つてみい」と怒鳴られたのはAであつて、直接怒鳴られたAが、これに立腹し、D・JはAが立腹しているのを知つて単に同情したに過ぎない。
であるからこそD・Jは追いかけてまで執拗に暴行を加えるという気持が起きなかつたのであり、実際にもD・Jは被害者に対しては暴行を加えていない。
五 その後鉄板焼屋の辺りから、Aの怒鳴る声を聞くに及んでD・J・CはAたちのところに行く。(D・J警面調書一四五丁、審判廷での同人の供述)
D・Jが鉄板焼屋前路上に到着したときは既にAが被害者に対して、殴打し足蹴りを加えており、D・JはAから離れてこれを見ていた。(Aは警面調書六四丁、審判廷における同人の供述では五-六メートル離れていた。D・Jの審判廷の供述では二メートル)
六 そしてD・Jが到着して間なしに被害者は所持していた「祝儀袋」をAに渡す。
しかしD・Jは右祝儀袋をAに渡した行為は知らないのである。(審判廷におけるD・Jの供述、尚D・Jの警面調書には祝儀袋を渡すのを目撃した旨の明確な供述は一切ない)。さらに審判廷におけるAの供述によれば被害者は小声で祝儀袋を渡したというのであるから、D・Jは右被害者の声すらも聞いていないのである。
Aは被害者から祝儀袋を受け取るや、被害者に対して「金でカタをつけるつもりならもつと金を出せ」と脅迫し、(A警面調書六四丁以下)被害者がサイフから金を出してこれを領得するのである。(前記A調書、審判廷における同供述)
Aが右金員を領得した直後一一〇番により緊急連絡を受けた警官が現場に現れたので、四人はその場から一斉に逃亡した。
尚Aが領得した金員については逃亡した先の駐車場に於てAより配分の申出がなされたが、D・Jは受け取る意思がなく受領を拒否している。
七 本件強盗行為はAの単独犯行であつてD・Jには強盗の故意がなく且つ強盗について四人の間には何等の意思連絡もない。
(一) Aが強盗を決意した時点は被害者が祝儀袋をAに交付したときである。
前記事実経過から明らかなとおり、本件犯行の発端は極めてささいで且つ偶発的に起つたAと被害者との間の口論に起因している。即ちAが被害者より「殴れるものなら殴つてみい」と怒鳴られたことに立腹し、高校生だと思われてなめられたと思つたのである。
従つて被害者に対する本件暴行行為はAが「なめられてたまるか」といつた腹いせから出た単純なる暴行・傷害の意図でしかあり得ない。
何故なら、当時Aも含め四人には格別金銭に窮していた事情が一切ないこと。単車で相乗り遊びをしている途中遇然に再び被害者に出会い、被害者が四人を見つけて逃げて行つたことに誘発されて被害者を追いかけたに過ぎないこと、さらに犯行現場は現に営業中の鉄板焼屋の店先であり且つ当時は通行人もあり、現場附近は明るく犯行が容易に発覚する時刻と場所において行われていること。
加うるにAは被害者が祝儀袋を交付するまでは「金を出せ」等金品を領得せんとする言動を一切行つていないこと(四人の警面調書・審判廷での各供述に照らして明らか)等から明白である。
Aは被害者から怒鳴られたことに立腹し、その腹いせの一心から被害者に暴行を加えていたところ、被害者が突然に「これでかんにんしてくれ」と小声で言つて祝儀袋を差し出すに及んで始めて領得の意思を生じたものである。
即ち、Aは祝儀袋を受け取つた際の心情として「僕はそのとき金でカタをつける気持ちだつたら、もう少し持つているやろうから全部巻き上げたれ」と思つたのである。(Aの警察官面前調書六四丁)
右Aの「金でカタをつける気持なら」の心情はまさにAがそれまで領得の意図を全く持つていなかつたことを如実に現わしているのである。
しかりとすれば、Aは右被害者の祝儀袋の交付という行為によつてまさに触発されて、領得の意思を生じたものに他ならない。
(二) 次にAが祝儀袋を受け取つて以降現場から逃亡するまでの経緯を検討するに、
Aが「もつと金を出せ」と脅迫しこれに対し被害者は「もう持つてませんがな」と一応拒否するものの、Aから「うそをつけ」と一喝されるや直ちに所持していたサイフを取り出して金員をAに対しすなおに交付する。(A警面調書六四丁、六五丁)
尚、被害者の供述によれば「ここでさからつては(大変だ)……早くこの場からのがれようと思い金を渡した」(○田○太○警面調書二三丁以下)というのであるから、被害者は何等の拒否、抵抗も示さず金員を交付していることになる。
してみればAが祝儀袋を受け取つたあとさらに被害者より金員を交付受領するまでに要した時間は極めて短時間で、経験則上この間はわずか一分も経過してないことが充分に推察される。
そしてAが右金員の交付を受けると同時に、警邏中の警察官が現場に向けて走つて来ており、四人はこれを見て直ちに現場から逃亡したのである。(○田警面調書二四丁、B警面調書八九丁、A警面調書六五丁)
以上の経過で明らかな如く、Aに領得の意思が発生してから(祝儀袋を受け取つて以降)四人が逃亡するまでの間はわずか一分程度にすぎないのである。
(三) D・JについてAが前記行為に及んでいる間の同人の心情並びに行動を検討するに、D・JはAが既に被害者に対して暴行を加えている途中から現場に赴いたもので、以降D・JはAと被害者の居た場所ら約五-六メートルに近く離れた地点から、Aの暴行を見ていた(A警面調書六四丁)こと、Aが祝儀袋の交付を受けたことは目撃もしていないし全く知らないということである。
さらにD・Jの審判廷における供述によれば「A君の銭を出せ」という声を聞くまではA君が金を取ろうと思つていることは知らなかつた」というのがD・Jの心情である。
即ちD・JはAの「金を出せ」との脅迫行為に及ぶまではAが前述の腹いせのために被害者に暴行を加えているものと認識していたのであり、客観的にもAに領得の意があつたことを予見し認識することは本件の経過に照らしてみれば到底無理である。
ところで前述の経過で明らかなとおり、Aに領得の意思が生じて後逃亡するまでの所有時間はわずか一分程度というのであるから、この間におけるD・Jの心情は、Aが「金を出せ」などと全く予想外のことを言い出したのに驚いてAの以降の行為をあれよあれよと見ている間に警察官が来て直ちに逃亡したというのが真相である。
(四) ところでBはこの点審判廷において「警察で『D・J・Cが金を出せ』と言つた、ということになつていますが、僕が誰かが金を出せと言つたのでこの二人と思つて警察でそのように話したのです」と供述している。
しかしながら右供述は「誰かが金を出せ」と言つたにすぎないので明確に発言者を特定したものではない。また二人と思つたということについても如何な情況と根拠に基いてかような推測がなされたのか何等明らかにされていないのである。
Bを除く三人の供述を検討するに「金を出せ」と言つたのはA一人であることについて三人の供述が一致していること。さらに前述の経過からしてD・Jの当時の心情からはD・Jが「金を出せ」なる発言をしたとは到底考えることができない。真相はBがAの金を出せと言つたのを錯覚したかもしくはBの根拠なき推測に過ぎないと断ぜざるを得ない。
(五) 以上の検討から明らかなとおり強盗についての共謀ないし、意思連絡は全くなされておらず、またAの領得行為に対する加功についても、既にAが暴行に及んでいる途中から、現場に赴いたもので、Aが領得行為に及んでから四人が現場を逃亡するまでの間わずか一分程度であり、この間D・JはAから二メートルないし、五メートル程度離れた地点に立つていたにすぎない。
従つてD・Jの右佇立行為をとらえて強盗の共謀ないしは実行の決意があつたものと認定するには、D・Jについてせいぜい傷害程度の意図から何故に強盗の故意という極めて重大な反規範的行為を突然に決意したことに対する明白な証拠による説明が必要なところ、これを首肯するものはない。
D・Jは佇立していた際Aに領得行為を決意させる行為は何等行つておらず、又これを積極的に容認する行為も取つておらない。(D・Jの審判廷における「被害者が弱つているのに乗じて金をとろうという気持もなかつた」旨供述)
要するに本件事案は仮りに傷害の共謀があるにしても右共謀に反してAが単独で強取行為に及んだものであるから法理論上は共犯における事実の錯誤の問題であり、強盗については故意が阻却されること理の当然である。
尚付言するにD・Jについては強盗に対する容認意図すらないのであるから強盗幇助罪の成立もないこと明らかである。
何故かなればD・JはAが「金を出せ」と脅迫する以前も以降も全く同じ態度(佇立行為)を続けており、右脅迫行為に及んだ以降も何等積極的な加功行為を取つておらないのである。即ち「金を出せ」と脅迫した以降もD・Jは暴行ないしは暴行幇助の意図のもとに佇立していたのである。
右D・Jの行為について強盗幇助を否定するにはD・Jが直ちに現場から逃亡するかもしくは積極的に強盗行為に対するいわゆる「中止行為」を取らねばならないとする理屈は法理論としては到底肯定することはできない。
第二 原決定には処分の著しい不当があり取消されるべきである。
前述のとおり、D・Jはせいぜい傷害ないしは傷害の幇助にすぎないものでありしかもAの行為に巻き込まれて行つたものであるうえ、著しく偶発的である。
D・Jは補導歴は単車の無免許運転が一回あるのみでこれは本件犯行とは全く関連性がなくD・Jの悪性を示すものではない。
被害者には既に示談ができ嘆願書も提出され寛大な処分を望んでいる。
以上の次第で本件D・Jの非行については不処分が相当である。
昭和五一年十二月一七日
右附添人
弁護士 ○添○雄
大阪高等裁判所御中